...09...



試合が近いある日。
寝ていた準太を起こして野球のルールを教えてくれと頼むとめんどくさそうな顔をして
図書室に行けと不機嫌な声で言われ、親切にも場所まで教えてくれた。


さすがの私も図書室の場所ぐらいは知っている。
なんて言い返したかったけれど、気持ち良く寝ていた準太を無理矢理、かつ、
自分勝手な理由で起こした私が悪いんだと思うと言葉がでなかった。


渋々私は図書室に向かうと野球のルールが載っていそうな本を探しだし、それを借りる。
受付の人から疑問の視線を感じてちょっと恥ずかしかったけど・・・・。
でもやっぱり試合をちゃんとみたいから・・・・応援したいから・・・・。
ルールぐらいは知っておきたいんだ。
河合先輩はああいってくれたけれど、少しぐらい知識は付けておきたい。


でも私は自慢じゃないけど記憶力ない。
消えていくのが早いのだ。新しい物事をたいして吸収していないくせに忘れるのが早いというのは
脳の老化ということなんだろうか、と考えてすごく泣きたくなる。すごく。
誰か助けて・・・・!!
と、頭の中で泣きながらすぐに出て行くつもりで本棚に背中をあずけた。
パラパラとページをめくると、すぐに本を閉じてうなり声を上げる。


「うーぁ、試合までに忘れないようにしなきゃ」


独り言ほど寂しいものはないけど呟かずにはいられない。
なんだこの量は。
ルールとか多すぎじゃないのかちょっと。
いや、これが普通なのかもしれないけど・・・・。
普段運動をしない私にとって、それは多く感じられるのだ。


覚えるの大変そう・・・・もう試合も近いのに・・・・。
どうやらこれは、テスト前しか使わない集中力を引っ張り出さないといけない。
そんな事を思って頭を抱える。
せめて基本的なことは覚えるつもりだが、そもそも私はポジションの名前すら曖昧である。
先が思いやられる。自分のことだから、余計に。


どうしたものかと思いながらも気を取り直してまた本を開いた。
読めば読むほどに私は本当に何も知らなかったんだ、と思い知る。
野球部の友達がいつもそばにいるくせに。
野球部に好きな人ができたくせに。
どうして少しでも知ろうとしなかったんだろう。


自分から動けばよかったのに。
ため息をついてルール説明の横にある写真を見る。


(やっぱり、かっこいいって思えるのは慎吾さんだけだ)


同じ野球をしている人なのに、何が違うんだろうか。
なんて思いながら本から顔をあげ何気なく図書室の入口に視線をやった


「っ!!」


あ。ああ。どうしよう。嘘みたいなんだけど・・・・。
慎吾さんと目が合ってしまいました!!!


図書室の前を絶賛通過中だった慎吾さんと目が合ってしまった。
いやいやいやいや、何さ絶賛通過中って。
おかしいから、明らかに日本語の使い方おかしいから!!
通過中だけでいいよ!絶賛って言葉はいらない!!


私が自分を落ち着かせようとしてるんだかよく分からない言葉を頭の中でくり返していると
慎吾さんは一緒に居た友達に、一言二言何かをいうとこっちに向かって歩いてきた。
私の心臓はばくばくだ。


「どうしたよ、。固まって」

「や・・・・えっと・・・・」


貴方のことを考えてたら、貴方に会えて驚きました。
言えるか!!!!


私は「なんでもないです」と絞り出すように言うと誤魔化すように笑った。


そっか、固まってるように見えたのか・・・・。
でも、考えていた人が目の前に現れたら驚きで固まってしまうのは仕方がないことだ。
そんな私を気遣ってこっちに来てくれる慎吾さんはやっぱり優しい。
神様なんじゃないかと思う。
・・・・いいすぎたかもしれないが。


「えっと、あの・・・・あっ!
 こ、この前はメールの返信ありがとうございました!!」

「や、メールは普通返信するもんだろ」

「そ、そうですよ、ね!すみません、なんか・・・」


何に対して謝ったのか自分でもよく分からない。
しっかりしろ、高校2年生。


「それより、何の本読んでたんだ?」

「え、あっ!!!!」


自分が持っていた本を思い出して、とっさに後ろに隠した。
なんとなく、見られるのが恥ずかしかった。
今更野球のルールを勉強してます、なんて言ったら慎吾さんは一体どう思うんだろう。


自分の中に、眉をひそめる慎吾さんが浮かんできた。
うわー、もうどうしよう、今更読んでんの?とかっていわれたら。
正直私、立ち直れない。
そう思った私は、心苦しいけど信吾さんに嘘をつくことにした。
本当にごめんなさい慎吾さん!!私へタレなんです!!


「えっと、料理の本ですよ・・・・!」

「何の料理本?」

「ゆ、夕食の!鯖の味噌煮とか、わ、和食のものをちょっと!!」

「隠す必要なくね?」

「ええ!?や!!!今度作っていこうかと思っているので!!
 本に書いててある隠し味とか材料とかばれるの・・・・その、い、嫌なんです!!」

「鯖の味噌煮を?」

「鯖の味噌煮を!」

「ふーん、じゃぁしょうがねぇな」

「で、ですよね・・・・!」

「あ、よぉ準太」

「じゅ、準太・・・・っ!?」


私の後ろを見て慎吾さんが軽く手を上げた。
だめだ、後ろに居るんじゃ本がばれちゃう!!!!
驚きと焦りで思わず振り返るとそこには誰も居なくて、しまった!と思う。
でも時すでに遅く・・・・私の手から本は抜き取られていた。
あああああああ!!慎吾さん、手早いです!!手早すぎます!!!


「野球の本?なんで?」

「あの、いや・・・・その、次の試合、見に行きたいなって思ってたんですけど。
 は、恥ずかしながら、野球のルール知らなくてですね・・・・。
 す、少しは勉強しておこうかなぁなんて・・・・思ったり・・・・して」 


だんだん声が小さくなっていく自分に嫌気が差した。
私は慎吾さんの顔を見ないでいいようにうつむいて自分の上履きの先を見つめた。
なんていわれるんだろう。
どんな顔してるんだろう。
怖いな、怖いな・・・・。


「へぇ・・・・意外と頑張るな、お前。努力するヤツは、嫌いじゃねぇぞ」

「・・・・・・・・へ?」


いま・・・・なんて・・・・いいました?
嫌いじゃない?嫌いじゃないっていいました?


「ほ、本当ですか!?嫌いじゃないですか!?
 大丈夫な感じですか!?」

「ブッ!!お、おー・・・・大丈夫な感じだ、っ」


慎吾さんが笑ってるけど気にならなかった。
よ、よかった、嫌いじゃないって!大丈夫らしい!!
っていうか考えると凄くいい事言われてるんじゃないのかな!?
どうしよう・・・・嬉しくて顔が緩んじゃいそうだ。
いやもうすでに緩んでいるのかもしれない。


「つかは嘘が下手すぎ。
 部活の差し入れに鯖の味噌煮持ってくるようなやついねぇだろ普通!」

「あー、もう、私慌てちゃうとよく、その、考えずに喋ってしまうので・・・・。
 結局自分で自分の首を絞めてしまう、といいますか」

「その結果が鯖の味噌煮ねぇ・・・・」

「か、からかわないでください!!いたたまれないです!!
 って、慎吾さんまた笑ってます!?」

「や、ワリィ・・・・味噌煮持ってくる想像したら、すげぇシュールで・・・・っ!」

「シュ、シュール・・・・」


どんな風に想像したんだろうか。
いまだ肩を震わせて笑っている慎吾さんは、笑いすぎで少し苦しそうだ。
それをみて、なんとなく、幸せだと思ってしまった。
こんな風に会話ができることが、たまらなく嬉しい。


そう考えながら私がしばらく顔が緩むのを必死で抑えていたときだった。


「あ、慎吾!!」


可愛らしい女の人の声が聞こえてきたのは。


声のした方向を向くと、そこにはこっちに向かってきている一人の女の人。
しかもなんていうか・・・・大人っぽい。
胸もあるしメイクばっちりだしスタイルいいしかわいいし・・・・。
おまけになんかいい匂いするんですけど!!
私とはまるで正反対の人だった。
っていうか、“慎吾”って・・・・。


「何してんのー、慎吾が図書室なんて珍しいねー。あれ?その子誰ー?」

「後輩の友達」

「ふーん・・・・」


女の人がこっちに来ると、慎吾さんは笑うのをピタッとやめてしまった。
うーん、もったいない、かっこよかったのに・・・・。


私は探るような、どこか冷めた女の人の視線に耐え切れなくなって、小さく失礼しますとだけいうと
本を持って逃げるように図書室を後にした。
角を曲がるまで、女の人の視線が背中にべっとりとはり付いてる感じがして気持ちが悪かった。


私はよく分からないけど、なんだかとても悲しい気持ちになる。
あの人は誰だったんだろうとか、
名前を呼び捨てにした女の人に対しての紹介が「後輩の友達」だったこととか、
女の人の視線の冷たさの中に含まれた嘲笑とか、
慎吾さんが笑うのをやめてしまったこととか。


いろいろと混じって、乱れて、それが洪水となって胸を締め付ける。
苦しい。
あの人は彼女かな?友達かな?
彼女だったら嫌だな・・・・私勝ち目絶対ないし・・・・。
もとから少ない希望が更になくなってしまう。


準太に・・・・野球部の誰かにでも聞いてみよう・・・・。
もうすぐ試合があるから、終わってからでいい。
今は、私はルール覚えなければいけないのだ。


“努力するヤツは、嫌いじゃねーぞ”


思い出すとまた顔が緩みそうになる。
少しだけ悲しくなくなった気がしたけど、気のせいだろうか?
小さくつぶやいた「試合頑張ってください」という言葉は、図書室には届かなかっただろう。



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