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「な・・・・ん、で・・・・」
何度考えても、何度見直しても現実は変わらず。
増えることも減ることも無い数字は異様な冷たさを持っていた。
私は力が抜けて、思わずその場にへたり込んだ。
地面が雨で濡れていて冷たかったけど、そんなことは全然気にならなかった。
きゅっと咽の奥が詰まって、まるで呼吸の仕方を忘れてしまったようだった。
桐青野球部は・・・・負けたんだ。
「みんな・・・・」
か細い声で発した言葉は向こう側の歓声に消え、誰もに聞こえていないだろう。
涙があふれそうになる。
ありえない・・・・これは夢なんじゃないのか・・・・。
そう思わずにはいられない。
そう、願わずにはいられない。
皆、毎日毎日泥だらけになって、毎日毎日たくさん練習したのに。
怪我をして、痣を作って、それでも楽しそうに笑っていたはずだった。
まさか、こんな結果になるだなんて思ってなかった。
いや・・・・誰が想像できただろう。
涙が一筋、頬を伝ったがそれを乱暴にふくと立ち上がる。
一番泣きたいのは、私じゃない。
未だ止まない向こうの学校の歓喜の声を背中に聞きながら私はそのまま学校に向かった。
*
傘にあたる雨音がわずらわしい。
そんなに酷くないはずなのに、やけに雨音が大きく聞こえるのはきっと気持ちの問題なんだろう。
私はため息をつくと足もとに溜まった水を軽く蹴飛ばした。
足を濡らした水がやけに冷たく感じる。
しばらく待つと野球部の皆が帰ってきた。
私は急いで立ち上がると、皆に駆け寄る。
そんな私に気付いた人たちがくたびれた笑顔を見せて迎えてくれる。
あぁ、皆・・・・目が赤い・・・・。
それをみてまた涙が出そうになったけど、頑張って抑えた。
「お疲れ様でした」
なんとか声が震えるのは防ぐことができた。
皆はありがとうといって私の頭を撫でてきた。
その手は大きくて、マメだらけで、とても優しい。
温かいこの優しさは、本来なら私の方が皆にあげなければいけないのに。
なんで私が慰められてるんだろう。
違う。気をつかわせたかったんじゃないのに・・・・。
「あ、あの河、合先輩!マフィン・・・・作ってきたんです!!よかったら、どうぞっ!」
「ありがとう、さん。ちゃんと試合見に来てくれてたんだなぁ」
「河合先輩・・・・」
「皆にも配ってあげてくれないか?きっと喜ぶだろうから、あいつら」
「はいっ!!」
河合先輩に言われたとおり、皆に配っていく。
今度は皆、ちゃんとした笑顔でお礼を言ってくれた。
・・・・少しでも元気が出たならよかった。
この程度で消える悲しみではないけれど・・・・。
「準太、はいこれ・・・・お疲れ様」
「おーサンキュ。つかお前、一番最初にオレにわたせよ。一番の友達のくせに」
「ばーか。一番最初はキャプテンですー!
・・・・・・・・本当に、お疲れ様っ」
「・・・・おう。あ」
「え?・・・・あ、慎吾さん!!」
慎吾さんを見つけた私は準太に断りを入れて駆け寄る。
あと渡してないのは、慎吾さんだけだった。
私が近づけば慎吾さんは力なく笑う。
・・・・そんな顔はじめてみた。
私は我にかえると、カバンからマフィンを取り出し慎吾さんに差し出した。
慎吾さんはキョトンとした顔でマフィンとわたしを交互に見た。
ああ、でも、その目は赤く疲れている。
何故だろう。胸が苦しくざわつく。
「昨日、作ったんです・・・・よかったら・・・・その、どうぞ」
「あぁ、ありがとな。でもワリィ・・・・オレはいいわ」
「っ!えっと、でも、ですね・・・・慎吾さんに、受け取ってもらいたいんです。
その、元気が、少しでも出たらいいなと思って・・・・」
「ワリィな・・・・」
慎吾さんは目をそらしたけど、私は引かなかった。
だって、少しでいいから・・・・慎吾さんに元気を出してほしかったんだ。
例えそれがしつこかったとしても。
「あの、味は大丈夫だと思うんで、まずくは、ないと思うんです」
「だから・・・・」
「慎吾、さん・・・・」
「っ!!!いいっていってんだろっ!!!」
パシンッ!
一瞬、時間が止まった気がした。
何が起こったのか分からなくて、止まった時間の中で視線を動かす。
気がつけば手の中にあったマフィンは地面に落ちて、慎吾さんと私の間にころがっていた。
ラッピングのために付けたリボンが、水を吸って色が濃くなってゆく。
「慎吾っ!!!」
「慎吾さん!?」
河合先輩が、準太が・・・・叫んだのが聞こえた。
でも私は反応ができない。叫び声がどこか遠くだ。
地面に落ちたマフィンを見つめることしかできなかった。
脳は本当に動くことを止めてしまったんじゃないかと思うぐらい動いていなくて。
私はただただ、この状況に戸惑うばかり。
戸惑う?
違う。
戸惑う暇もないほど、苦しいのだ。
するとそのうち、よく分からない気持ちが胸の底から湧き出てくる。
頭がガンガンして、視界がぼやけた。
心臓がうるさいほどなっていて、いっそならなければいいのにと思う。
耳をふさぎたい、でも体が思うように動かない。
「おい慎吾!!お前・・・・」
河合先輩と準太が近づいてきて、慎吾さんの肩をつかもうとしたときだった。
パンッ!!!!!
「・・・・・・・・え?」
わずかに発せられたその言葉は誰からのものだったか。
ひょっとすると自分自身からかもしれない。
誰もが言葉を失っていたが気持ちはわからないでもない。
だって自分でも驚いたのだから。
私・・・・慎吾さんのほっぺた・・・・叩いちゃった・・・・。
でも後悔なんかしなかった。
それよりも強い感情が、私を動かす。
悲しい。苦しい。けど、その中にわずかな怒りもあった。
慎吾さんは呆然とこっちをみている。
それは慎吾さんだけじゃなく他の皆だって同じ。
あの準太ですら驚いているのが分かった。
私はそんな視線を気にせず、慎吾さんを強い視線で見上げた。
睨むような格好になってしまうのだろうが仕方がないだろう。
「確かに、私は・・・・しつこかったです。そのことは謝ります。本当にすみませんでした。
でも、でも!叩き落としちゃいけないものって、あるでしょう?
手作りのものなんて余計にそうです。人の気持ちがこもっているんです。」
私、何を言っているんだろ。
でもあふれる気持ちは止まらなくて。
そのまま言葉になって私の中を突き抜ける。
「私がこんなことされたから言ってるんじゃなくて・・・・むしろ、相手が私でよかったです。
他の人がこんなことされたら悲しくて苦しくて、泣いちゃいますよ」
ああ、だって嫌じゃないか。
「慎吾さんは本当は優しいんですから、もう、二度とこんなこと他の人にしないでください。
こんなことで慎吾さんの人柄が疑われるのとか、なんか嫌じゃないですか」
そう言って、私は慎吾さんに傘を渡す。
一人でこんなに喋ったのは初めてだからだろうか。
息が切れて、そのくせ妙に身体は冷たかった。
「傘、使ってください。試合終わったばっかりなんですから、風邪ひかないでくださいね」
「―――っ!!!!」
名前を呼ばれたけど、私は逃げるように学校を出た。
雨であっという間に体が濡れていく
寒い、寒い、夏なはずなのに、おかしいな・・・・。
気持ちがぐちゃぐちゃだ。
みっともなくてでもどうしようもない。
さっきまで、少なくとも怒りがあったのに今の私の中は悲しみでいっぱいだ。
本当はさっきだってずっと泣いてしまいたかった。
悲しいよ。
悲しいよ、慎吾さん・・・・。
私は雨の中、涙を流すこともせずに歩き続けた。
やっぱり雨は冷たい。
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