紡がれる言葉されど空気となり
「そこにいる気分ってどうなの」 「悪くはない…と思う。よくわかんねぇ」 「よくわかんないのにどうしてそこに居るの」 「……よくわかんねぇ」 白い息を吐いて空を見上げた高瀬くんは続けて「わかんねぇよなぁ…」と消え入りそうな声で言った。 日が沈むのが早くなってきたので辺りは真っ暗で、空には星が瞬いている。 給水塔の上に寝転びながら高瀬くんを見下げていると、冷たい風に高瀬くんのきれいな髪がさらさらとゆれた。 「そこ危ないよー」 「知ってる」 あ、なんだ知ってるんだ。ときょとんとした私は身を起こす。 その時に足がズキンと痛んで思わず顔をしかめた。 目をやると寝転んでいたせいか、左足の太ももに巻いた包帯がずれて変色した肌が見えていた。 私はそれを気持ち悪いと思う。 給水塔の上に座り直すと、私はアザを隠すように包帯を巻きなおした。 沈黙を保ったその空間にスルスルという包帯の擦れる音だけが響いていた。 「何でそんなとこいんの」 「へ?」 「下校時間…とっくにすぎってっし」 「やだなー。それは高瀬くんも同じでしょー。というよりむしろ高瀬くんは何でここにいるの?」 きゅっと包帯を結ぶと給水塔のふちに座って足をぶらぶらさせた。 質問には答えたくなかったので、同じ質問を高瀬くんに返してみた。 ちょっとわざとらしかったかな?と思ったけど高瀬くんは気にした様子もなく考え込んでいた。 なんとなく来たかったから来た。 そう嘘を言えば良かったのかもしれないが、この場ではそれはひどく味気ないものに思えて仕方がない。 少し理由を考えてみようかとも思ったけれど、太もものじくじくした痛みがそれを邪魔した。 加えてお腹も痛かったから、考えることがひどく億劫だったのだ。 「俺の事は…いいよ」 「あ、ひょっとして高瀬くん鬱ってやつ?気分が沈んで仕方ねーぜ!みたいな。  そういえば高瀬くん夏くらいから時々元気ない時あったもんね。なになに、考え事ですか?」 「……は?いやいや、なんで俺が元気ないとか思うんだ」 「だって夏あたりだったかな……ここで落ち込んでたじゃないっすか。  野球の試合負けちゃったって。もっと強くなりたいって言って…」 「え、ちょ…!?ひょっとしてさん!?」 「でございまーす」 「そんなサザエでございまーすみたいな…。いやつかごめん俺、今まで気づかなくて!」 高瀬くんが初めて上を向いて私を見た。 その黒い瞳が大きく見開かれていて、まぁるくてすっごく綺麗だなとぼんやりと考える。 声で私が分からなくても仕方がない。 だって高瀬くんと話すのはこれで2回目だったから…まぁ、前回と今回で2回。 前回と言うのはさっき言った通り、夏あたりにここ屋上で。 あの日、ここにくると柵にもたれかかってなにやら沈んでいた高瀬くんがいたので思わず声をかけてしまった。 話を聞くとどうやら少し前に試合で負けたのだとか…。 部活動にも入ってなくて運動もしない私からすれば到底理解しえない悩みだったけれど。 それでも、あまり部活に行っていないのだと話した彼のその行動が良くないという事だけははっきり分かった。 一通り話を聞いた私は「とっとと練習行かんかい」と彼の横腹を蹴ったのだった。 それが1回目の高瀬くんとの会話。 あの時少し話しただけだったのに私の名前を覚えていたのには正直驚いた。 まぁ誰しも初対面で横腹蹴られたら覚えていてもおかしくはないが…。 それでもこんな私の事を覚えているだなんて、高瀬くんは物好きだ。 高瀬くんの喋り方はこれが2回目の会話だなんて思えないくらい気軽で、親しみのある対応だった。 そんな物好き高瀬くんは私を見上げると大きな瞳を更に大きく見開いて、精一杯驚きを表現した。 「足…どうした」 「んー、こけた」 「誰にされたの」 「わかんなーい」 足をかけられて転んだ後に強く踏まれた。そんでもてお腹も蹴られた。いろんな場所を蹴られた。 その行為がいじめと呼ばれる類のものであることは何となく理解はしている。 でも私は自分が何でそうされるのかの理由までもは把握していなかった。 いつから始まったかもわからない。痛かったけど何を言っても無駄な気がしたから何も言わなかった。 ただ、毎日なんか鬱陶しいな、とは思っていた。 もともと私は自分の事がそんなに好きじゃなかったけれど、蹴られれば青くなるそこは殊更嫌いだった。 肌の色は人種によってさまざまだけど、青色の肌の人間なんていない。 これが体に広がる度に私は人間から離脱していくような気がして、ただそれだけが怖かった。 「私の事はどうでもいいからさ。それよりも高瀬くん。  そんなところに居たらうっかりすると死んじゃうよ。高瀬くんは死にたいの?」 柵の向こう側に座って校舎から足を出している高瀬くんに聞いてみた。 それほど高くない柵の境界線なんて1歩分の距離だ。 たったそれだけの距離なのに、それが人にもたらす危険の度合いを変えるなんて何だか可笑しな話だ。 「高瀬くんは皆に人気があるし、死んじゃったら悲しむ人がたっくさんいると思うな」 「俺が、人気?」 「ええ。自分の人気具合を知らないとは…!恐るべき鈍感さんだぜ」 「ひょっとして俺、今、貶された?」 「ちょっとだけ」 けたけた笑うと高瀬くんが不機嫌そうに眉をひそめた。 そう笑う間にもお腹や太ももの青は遠慮なく私を侵食していく気がして怖かった。 「死ぬつもりなんか、ない」 「わかってるよ、高瀬くん」 「あと俺は、さんを傷つけてるようなやつらから好かれてもなんも嬉しくない」 「……」 そこで初めて、高瀬くんが怒っているのに気づいた私は目を細める。 すごいなこの人は。だからこそ、好かれるのだろう。 青に染まっていく私は何も言えなくて、目を静かに閉じて、深呼吸をした。 「死ぬつもりがないならそろそろ帰らないと、学校閉まっちゃうよ」 高瀬くんが死なないのは分かってる。その気がないって事も見ていればわかる。 それでも1歩を踏み出して柵を乗り越えた彼には、胸の中にどうしようもない思いがあったんだろう。 こっちを見ないでぼーっとまっすぐ前を向いている高瀬くんは、今いったい何を考えているんだろうか。 ちなみに私はさっきからお腹と太もものじくじくした痛みが止まらなくて、もう我慢の限界は近い。 私は給水塔の上に立つと、ぐっとのびをした。 上を見たらやっぱり星がきれいで、自然と笑顔になった。きれいなものは好きだ。 私が立ち上がったのに気づいたらしい高瀬くんが、前を向いたまま同じようにのびをした。 「ん。そろそろ帰るか。寒くなってきたし」 「うん。じゃぁね、ばいばい」 「は?いや、折角だしさん一緒に帰ろうぜ」 「えー、無理無理。まだ用事終わってないし先帰っててよ」 「用事?べつに俺は待ってるけど…」 「結構遅くなりそうだし、いいよ。というか早く帰りなさい。お母さん心配するから」 「人の事いえないだろ」 「うっせーですよ」 じくり、と。 足が痛んだ。 「分かった。先帰る」と言いながら高瀬くんが柵を越えて安全地帯に戻ってくる。 しぶしぶといった風に扉に向かって歩き出す様子は、見ていておもしろかったのでクスリと笑ってしまった。 「またな」 「うん。ばいばい」 そう言って私から背中を向けた高瀬くんを確認してにっこりと笑った。 高瀬くんは本当にいい人だ。 それを忘れていたわけではなった。だって現に今だって、いい人だな、と思っていたし。 だから私は高瀬くんのいい人度合いを見誤っていたのだと思う。 高瀬くんが立ち止まって「やっぱり暗いし、一緒に…」という言葉とともに振り返った。 多分「一緒に帰ろう」と言ってくれようとしたんだと思う。 でも高瀬くんが振り向いた瞬間、私はまさに落ち始めたところだった。 あーあ。と思った。 高瀬くんは振り返らずに出ていく。私は誰の目に触れることなく落ちる。そういう予定だったのに。 青色の肌の人間なんていない。 私は怖い。いじめよりもなによりも、この青が体に広がって、私を犯していくのがこわい。 青に飲み込まれて、私が人間じゃなくなって、汚くなることに、たまらなく我慢が出来ない。 吐きそうなくらい、こんな色の自分が嫌いだった。 ありきたりだけれど本当に全ての動きがスローモーションだった。 高瀬くんの目が大きく見開かれるのが見えた。 私の体は空中に投げだされて、もうどうしようもないなんて分かりきっているのに。 それでも高瀬くんはこっちに手を伸ばして走ってこようとしていた。 なんていい人なんだ高瀬くん。私はキミとお話ができて良かったよ。 感謝の意味を込めてへらっと笑ってみた。 すぐに高瀬くんは見えなくなった。 目を開けると視界いっぱいに星空が広がる。ああきれいだ。きれいなものは大好きだ。 ぐんぐん ぐんぐん おちていく 体にあたる風は驚くほどに冷たく、容赦がなかった。 風のせいで目が乾いたのか、涙が止まらなかった。 泣いてはいない。泣く理由はない。 だって星空と、高瀬くんと。きれいなものをさいごにいっぱい見れた。 私はさいごまで汚かったけれど、私の周りはきれいなものばかりだった。すごく幸せだ。 だから泣く理由はない。 ゆっくり、ゆっくり、目を閉じた。 私の名前が呼ばれた気がした。きっと高瀬くんの声だ。 凄くきれいな声で、もう私にかけられるには勿体ないくらいのそれ。 胸の奥がどうしようもなくうずいて、くすぐったくて、だから私は口を開いたのだ。 地面まであとどのくらいの距離かわからない。そんな中で。でも私はかすれた声で呟いた。 ああ、あのね、高瀬くん。こんなこと言うとすっごく重い女なんだけどね、私ね、私ね。 「私、高瀬くんのことが………」 ドンッ!!!!死んで花実が咲くものか (     )