いつかきっといつかきっと
そう呟く間に見失った
※大学生設定
真っ白な雪の上に真っ黒のコートを着て真っ赤なマフラーを巻いた私が立っていた。
実家から少し離れた開けた場所。周りを見渡しても民家もなく、ただだだっ広いだけのその場所は
今は昨日の内に降り積もった雪で覆い尽くされていて、耳が痛くなるような静寂を保っていた。
普段は引きこもりな私だが、あまりにも雪が美しかったので寒さに弱いくせに出てきてしまった。
家の周りでさえこうなのだから、開けたあの場所に雪が積もればさぞ真っ白で魅力的な空間が出来上がるのだろうな
なんて思いながら来てみれば予想にたがわず、この場所は足跡ひとつついてない。
そのことに小さく歓喜の声をあげてから、私は慎重に最初の一歩を踏み出した。
丁度その場所の中心らしき場所に来ると、雪のように白い息を吐き出して空を見上げる。
昨日降っていた雪は今はもう降っておらず、かといって天気がいいわけでもない。
白く分厚い雲が太陽を覆っていているせいだろう。天気予報でも今日は曇りだと言っていた。
それでも私は雪が降らないかな、なんて思いながら首が痛くなることも気にせずひたすら空を見上げていた。
最初はそこに私だけがいた。
しばらくすると島崎くんがきた。
島崎くんがここに来た時は驚いて、一瞬私がここに居るのがわかっていて来たのかと思ってしまった。
けれど、遠くから私を見つけた瞬間島崎くんの歩みが止まり、遠目でも判断できるほど驚いていたので本当に
ここで会ったのはただの偶然のようだ。
何もないこんな場所にわざわざ来るだなんて恐ろしいくらい物好きだな、と思ったけれど自分もその物好きだった
ことに気がついてなんとなく居た堪れない気持ちになって軽く唇をかんだ。
その後すぐに島崎くんが無言で隣に来て、無言で空を見上げたので私もそれに倣った。
丁度私と島崎くんの間に一歩分の距離ができていて、近づかれすぎなかったことにほっとした。
少し灰色が混ざった雲を見上げながら、そういえば高校の時の島崎くんは最低野郎だったなーなんて、高校時代に
想いを馳せていたのだがどうやら正直な私は口に出していたようだ。
島崎くんにこれでもかというくらいじっとりとした目で見られてしまった。
「きっと今も最低でしょうけど」
「……久しぶりに会ったオトモダチに対する言葉がそれかよ」
「あれ、口に出てましたか私。すみません。悪いと思ってないですけど。
それと私と島崎くんはお友達じゃありません」
「え、そうなの?俺ずっとさんのことオトモダチだと思ってたんだけど」
「白々しいですね。なんというか、オトモダチという発音が。カタカナに変換されて聞こえます」
「ははっ、気のせいでしょ」
「前から思っていましたが島崎くんが笑うとなんかイラッとしますね。
まぁ学生時代の島崎くんといえばずっとへらへら笑っていた記憶しかないんですが」
「あれ?これ遠まわしに俺の事嫌いっていってね?」
「やっぱりそう聞こえちゃいます?いやいや、しかしこんなところで会うとは……。
島崎くんはストーカーですか?女とヤリまくる男も嫌われますがストーカーも嫌われますよ」
「勘違い女も嫌われるぞ」
「勘違いじゃありません」
白く息を吐きだすと私は隣の島崎くんから視線を反らして空を見上げた。
「だって島崎くん私の事好きだって言ってたじゃないですか」
あ、これも言うべき言葉じゃなかったかもしれない。
どうも私は頭で考えていることをストレートに口に出してしまう癖があるようだ。
人によく「一度よく考えてから口に出せ」と言われるから最近は気をつけていたのだが、久々に
地元の知り合いに会って気が緩んだせいだろうか。つい正直に言ってしまった。
どんな反応をされるのかと相手を窺うとさっきよりも微妙な表情をした島崎くんがいた。
「うわ。また凄い目でこっち見てますね。そんなに私が好きだった頃の自分は人生の汚点ですか」
「別に…そういうわけじゃねぇけど。何で今ここでその話持ち出すんだよ、って思って」
「正直者なので考えてることが口から出てしまうんですよ。島崎くんだって知ってるじゃないですか。
それに別にいいじゃないですか。もう終わったことなんですし」
私はそう言いながら、赤いマフラーがずれたので巻きなおした。
そうして足元を見るとまだ綺麗な雪を蹴っ飛ばしてその軌道を目で追う。
わずかな光を受けてきらきらと微弱に光るそれを見ながら、私はぼんやりと高校時代を思い出す。
高校生の時、島崎くんに告白されたことが何度かあった。
最初に告白された時は誰もいない教室で。
「サン。俺と付き合おうよ」ってニヤリと笑いながら言う彼のバックは夕日で赤く染まっていたと思う。
何でかと問い返せば「好きだから」と即答されて、私は不快感で眉をひそめた覚えがある。
だってあの頃は本当に島崎くんとは接点もなかったし、喋ったのだって告白の時が初めてだったのだ。
私を好きだという様子もなかったし、告白を受けるその瞬間まで私たちは正真正銘の無関係だった。
そんな人間に対して好きだとか何ほざいてやがんだと、一気に警戒態勢に入った記憶がある。
それに、ニヤニヤと笑っている島崎くんからは明らかに「暇つぶしですオーラ」が出ていたので頭が痛くなった。
島崎くんが遊んでいるという噂は私にも伝わってきていたので、正直「めんどくさいのに絡まれたな」と思った。
というか何でも正直に口に出してしまう私はそう言ってしまっていた。
その言葉に島崎くんはきょとんと目を丸くした後大爆笑して「やっぱ俺と付き合おうよ、サン」と抱きしめてきたのだった。
結局卒業するまで私がその誘いにのることはしなかったし、告白してきた後も島崎くんが遊んでいるという噂は絶えなかった。
ただ、その告白以来よく島崎くんと一緒に居るようにはなった。
けれどそれは島崎くんが一方的に私に近づいてくるから、否応なしにそうなってしまっただけだ。
すぐに飽きるだろうと思っていた私にはそれが少し意外で、ほんの少しだけ見直した。
けれどいつもへらへらと私の隣に居て、よくわかんない人だなと思っていた。
当然それも口に出ていたのだけれど。
(ああでもそういえば…)
一度だけ、いつもへらへら笑っている島崎くんが一度だけ真剣に好きだと言ってきた時があった。
確か場所は進路指導室。私がストーブの近くの椅子に座っていて、島崎くんが窓際に居たのだ。
あの日も冬で、雪が音も立てずに窓の外で静かに降っていた。
進路指導室に居たのは私と島崎くんだけで、私は過去の試験の報告書を見ているのに夢中で会話が一切なかった。
そんな中島崎くんが急に「なぁ」と声を出して。
その声がいつにもなく落ち着いていたので気になって顔をあげると、島崎くんの背中が見えた。
窓の外を見ていた島崎くんはこっちを向くと、結露で濡れた窓に背中をあずけて私を見た。
まっすぐ私を見つめるその目を見た瞬間、何故か背筋が伸びた。
あ、やばい。と。
逃げなきゃ。と。
そう思った瞬間、島崎くんは真剣な声で言ったのだ。
「好きだ、」
ドンッ!と重い何かが私の胸に落ちてくる音が聞こえて、同時に冷や汗が背筋を伝う。
そうして息が、できなくなった。
「終わったわけじゃねぇけど」
「……は?」
高校時代にトリップしていた思考が急に引き戻されて、私はまぬけな声を出す。
驚いて島崎くんを見ると、島崎くんも私をまっすぐ見ていてその顔は真剣そのものだった。
ああ、まただ。
あの時と同じ。
息ができない。
「終わってない。いつ俺が終わりだって言ったんだ。ふざけんな。勝手に一人で終わらすな。
俺はまださんを自分のもんにする方法をずっと考えてる」
「………」
「好きだ」
「うそだ」
「本当に」
「本気じゃない」
「すっげぇ本気」
「絶対嘘」
「好きだ」
「………」
瞬間、島崎くんに抱きしめられた。
まるで初めて告白された時のように、いきなりの事だったので対応が遅れてしまう。
あの時の教室から見えた夕日が瞳の奥でフラッシュバックした。
そのせいだろうか、目がやけにチカチカする。
「卒業して、会わなくなってからもずっとさんのこと考えてた。
どうやったらさんが俺の事好きになってくれるか考えて考えて、もう、頭、わけわかんねぇ」
「ぐしゃぐしゃなんですか?頭の中」
「ぐしゃぐしゃすぎるぐらいぐしゃぐしゃだな」
「………」
「いっそさんを殺して自分のもんにできたらって考えたことも、あった」
「………」
「俺、頭おかしいかもしんねぇ…」
「じゃぁ殺してみます?」
「……は?」
ふわりと笑うと私は島崎くんに抱きつかれたまま後ろに倒れた。
鮮やかな赤いマフラーが乱れて新雪に広がった。
なんとなく私の体から血が出て、真っ白の雪にヨゴレを作ったみたいだなと思った。
私の上に居る島崎くんは目をまん丸く見開いて何が起こったのか分からないようだった。
その様子がおかしくて私はクスリと笑うと再び島崎くんの手をとって、片方ずつ、優しく、私の首に置いた。
手袋をしていない島崎くんのひんやりとした指が私の首を絞めるように乗っていて、ようやく状況を判断した島崎くんが
逃げようとするけれど私は手をやんわりと押さえて口を開く。
「力入れていいですよ。ちゃんと私を殺せたら、島崎くんのものになってあげます」
「―――っ!?」
「ほら、何やってるんですか?殺してまで自分のものにしたいんじゃなかったんですか?
力入れなきゃ私は殺せませんよ。失神は10秒くらいでしますけどね、最低でも5分は絞め続けてくださいよ。
じゃないと死にませんからね。苦しみ損ですよそんなの。私嫌ですからね。覚悟を決めてさぁ、どうぞ。
私を手に入れてください」
「何、言って…っ」
「島崎くんが言ったんじゃないですか。殺して自分のもんにしたいって。私にそれほどの価値があるとは思えませんが」
「ふざけんな!!!」
島崎くんが叫ぶ。
怒っているようで、でも顔はひどく苦しそうで、今にも泣きだしそうだった。
「お前、何考えてんだ!」
「だから、島崎くんが言ったんじゃないですか」
「モノの例えとかがあるだろ!!俺が言ったからって、こんな…」
「じゃぁ好きというのは嘘ですか?」
「嘘な、わけっ!」
「なら絞めてください」
「…っ!!」
「行動で、示してください」
私が下から無感情に島崎くんを見ていると、散々戸惑った表情をした後、島崎くんの指にぐっと力が入った。
気道が圧迫されて、舌が上に上がる。
思っていたよりも苦しいもんなだ、首を絞められるって、なんて考えながらぼんやりと島崎くんを見る。
けれど霞がかかったようにその表情を見ることはできなかった。
苦しいな、苦しいな、苦しいな。
ああ、でも。
「好きだ、」
あの時の方がよっぽど苦しかった。
「…っ!ゲホゲホッ…ゲホッ、ぁ、!」
空気が肺に勢いよく入ってきて思わずむせる。
気がつくと島崎くんの手に力は入っていなくて、表情は今にも泣き出しそうに歪んでいた。
なんで止めたのかが分からなくて、私は小首をかしげる。
雪と頭がこすれるざりっとした音が耳に響いた。
「やっぱ、無理、だな……実際には」
「やめな、…で、ください」
「無理だって」
「無理じゃありません」
「無理、なんだよ!できるわけねぇだろ!!」
「だったら私はっ、どうしたらいいんですか」
気づけば私の目から涙があふれていた。
島崎くんの顔が驚きで染まるのをぼんやりと眺めながら、それでも涙は止まらなかった。
寒空の下、涙の温かさが一瞬にして奪われてしまうのが悲しかった。
わかっていたのだ。息ができなくなったあの日から。
いいやそれよりもずっと前から。
わかっていたから。こうなることがどこかで予想ができていたから。
だからあの瞬間思ったのだ。やばい、と。
今まで逃げて見ない様にしていたものから逃げられなくなる、と。
恐怖で冷や汗が、背中を伝ったのだ。
「っ、……大好きだった」
でも。
それでも。
「私には…分からないんですよ、島崎くん」
ああお願い。
私に教えて。
「どう、したら…
あなたの言葉を信じることができるんですか」
好きだと言われた。それでも遊んでいるという噂は無くなることはなかった。
多分、島崎くんは重度の寂しがり屋さんなのだ。
だから近くにぬくもりをくれる人がないと、寂しくて寂しくて死んでしまうのだ。
例え自分に好きな人がいても、その人が確実に自分を傷つけずぬくもりを分け与えてくれるという確信が持てるまで
この人と誰かの噂が消えることはないだろう。
なんとなく私はそう思っていた。
だけど島崎くん、駄目ですよ。だめ。
それじゃぁ私が寂しくて死んじゃいます。
例え好きと言われて抱きしめられてキスをされたとしてもだめなんです。
その言葉があなたの口から吐き出される限り。
その腕があなたの一部である限り。
その口があなたの顔についている限り。
きっとずっと、信用なんてできないんです。
「もう、こうされる以外に、島崎くんの言葉を信じられる方法が、みつかりま、せん」
ねぇ島崎くん。
今更こんな事言うのもおかしな話ですけどね。
「どう…して、あの時…」
あふれるな涙。
震えるな声。
ゆがむな顔。
お願いお願い、お願いだから。
「どうし、て…私だけを、…みて…っ、くれなかったんですか…っ!!」
私はたまらず目を覆った。
願いは届かず、最後の方には涙交じりの情けない声になってしまっていた。
「うっ…ぁ、……っ、」
冷え切った自分の手で、冷たい涙が湧き出る目を覆って、声を押し殺して泣いた。
私だけを見てほしかった。私だけに好きと言ってほしかった。
だけど貴方があまりにも何事もないように私に好きというから。
自分の気持ちを見つけた時には、もう「私だけを見て」だなんて言えない状況だったんだ。
だってもう好きだったから。
どうしようもなく好きだったから。
もしも貴方に私も遊びなのだと言われたらと思うと、怖くて怖くてたまらなかったのだ。
言葉なんてしょせん曖昧で目に見えないもので、時が経つにつれていくらでも改竄されるものだから。
そんな不確定なものじゃぁもう信じられない。行動で示してほしい。
けれど貴方はキスもセックスも他の女の人にはするから、そんな行動じゃ信じられなくて。
確実に私だけといえる行動がほしい、ただそれだけなのだ。
「さん…」
「もう、やめましょう、島崎くん」
私はふわりと島崎くんの首へ抱きつくと、涙を流しながら、震える唇で白い息を吐きだした。
「このままじゃぁ私たち、二人とも死んじゃいます」
首に何か冷たいものが落ちてきた。
気づけば雪が降ってきていて、一瞬それが首に落ちたのだと思った。
けれど雪にしては溶けるのも早く、水滴の粒も大きい。
そこで私は初めて島崎くんも泣いているのかもしれないということに気付いたけれど、はっきりとはわからなかった。
島崎くんの欠片である雫は、そのまま首元へ落ちると、真っ赤なマフラーに何事もなかったかのように吸収された。
しばらく島崎くんは何も話さなかったけれど、少しするとだらりと下げていた逞しい腕を私の背中に回し
ぎゅっときつく抱きしめた後、私の肩に額をおしつけた。
何かに耐えるように体が震えていて、吐きだされた声も、少しだけ震えていた。
「冬は、…寒い」
「そうですね」
「さんが、やっと、抱きついてきてくれ…たのに」
「はい」
「すっげぇ…寒い」
「……そうですね」
私も寒いです。
そう呟いてもう一度ぎゅっと抱きつく腕に力を込めた。
「春は、まだですかね」
私はそう言って優しく島崎くんの頭をなでると、静かに体を離して背中から雪に飛び込んだ。
真っ白な雪に包まれながら空を見上げる。
ひらひらと頬に舞い落ちてきた雪の温度を感じながら、私は声を出して泣いた。
ああ島崎くん。雪が止みませんねぇ。
雪消に祈る私の5分間
(とうとう雪はとけなかった)