誰と話すでもなく、窓の外の様子を見ていた。
といっても頭の中は考え事でいっぱだったので、「見ていた」かどうかは怪しいが。
たまに、誰かの馬鹿にでかい声や机にぶつかられたりして意識が返ってくるけれど
それは一時的なものにすぎなかった。
それぐらい今日の俺は心ここにあらず、といった感じだったのだ。
ため息をついて考えるのはのことばかり。
昨日のことを反芻して、今日の朝の会話に頭を悩ませた。
(結局・・・・あんなことを言わせた原因は、俺、か)
いつも傍にいるはずのの姿はなく、そのことが酷く哀しい。
死んでしまった人間が隣にいないというのは普通のことなのに・・・・。
自分は、「特別」を与えられすぎた。
―――隆也、今日あたし、学校、行かない。
小さく続けられた「ごめんね」にどうしようもない憤りを感じつつも、平常心を装い
部屋の扉を閉めた今朝はやけに静かだったように思う。
勿論憤りを感じているのは完璧に不甲斐ない自分に対してであって・・・・。
をちゃんと信じてやることができない自分を意識して、泣きそうになった。
(そういや、今日あいつの顔みてねぇな)
起床してから部屋を出るまで、終始俺に対して背中を向けていた。
それが、今の自分たちの間にある壁のようだった。
そうして目を疑うほどに、の背中は小さく・・・・儚かった。
俺は何でと一緒にいるんだろう。
は、こんな思いをするために俺のもとに戻ってきてくれたわけではないのに。
もう、時間はないというのに・・・・。
それでも俺は怖くて怖くてたまらないんだ。
狂ってしまいそうだったあの日、再会を果たすことでなんとか保たれた俺の心。
確かに自分の隣に存在すると思っていたの存在。
その存在がすべて自分の都合のいいように作り出した幻だったとしたら・・・・
はたして俺は俺を保っていられるだろうか。
いつの間にか大きくなりすぎていた。
この想いも、彼女の存在も。
どうしようもなく息が詰まって、がいなというのに元気に騒いでいるクラスメイトの声が
耳に痛い・・・・この教室内で、俺だけが、彼女を知っているようだった。
「どうすりゃ、いいんだよ」
誰にも聞こえないようにそっと吐き出した言葉は自分の耳に届く前に喧騒の中に消えた。
心残りを探してやらないと、あと2日しか残っていない。
悩んで、探って、そうしている間にも止まることなく進む時計の針は酷く無情。
に対する悩みと同じように、時間というものが俺に重たくのしかかっていた。
こんな事じゃ午後の授業もまともに受けられはしないと、俺は花井たちに一言いれて席を立った。
特に行くあてはなかったけれど、歩いている途中で飲み物でも飲んで自分を落ち着かせようと思い
自動販売機で普段は買わない水を買ってみた。
飲み込めばそれは驚くほど冷たくて、自分が少し落ち着くのがわかる。
なんとなくそのままキャップをポケットにつっこむと再び散策のため歩きはじめた。
日差しが強い。
こんな日には皆日にあたりたくないのだろうか・・・・日差しの強い廊下にはあまり人がいなかった。
きっと日陰でだらだらと昼休みを過ごしているに違いない。
そんなことを考えながらも、俺はのことを考えていた。
昨日のあれは失態だったと自分でも思う・・・・思うのだが、俺だって、怖いのだ。
今思えばよくあれだけすんなりと「幽霊になった」を受け入れられたものだと思う。
多少の混乱はあったにしろ少しも疑わなかったのはやはり・・・・
(もう、二度と失いたくなかったから、か・・・・それとも、逃れたかったからか・・・・)
彼女がいないという現実から。逃れてあたたかく幸せな束の間の夢に包まれてみたかったのか。
勝手に夢を幸せなものだと決めつけて。
嗚呼、後者だとすれば自分は酷く愚かだ。
だって・・・・
(俺は今、こんなにも苦しい)
もがいてももがいても何も見えてきやしない。
夜は寝付けないほどに彼女の心残りを考え、昼は彼女のために動きまわる。
こんな場所に行っただとか、こんなことがあっただとか、笑いながら校内を二人で散策して
彼女が好きだった花、風景、物を見せたり差し出したりしてみるがそれでも彼女はまだいる。
心残りはなかなか隠れ上手だ。
たまにしゃべっているところを人に聞かれたりして変な顔をされることがあった。
そんな時、人にはが見えていないんだと痛感する。
なぁ、なんでだよ、こんなに近くにいるのに、なんで見えないんだよ。
そうしてふと浮き上がってくる自分の中の思いを無理矢理見て見ぬふりをするのだ。
だけど言われてしまった。他人に。
見ないようにしていたものを、否応なしに見せつけられてしまった。
“ だって自分以外には見えてないのに・・・・そんなの確かめようないだろ。
もしかしたら自分の気がおかしくなっているのかもって不安じゃないのかなってなー ”
足元が崩れていく。
ごめん。
ごめんな。
俺はやっぱり、弱いよ。
「そうそう、やっぱさーもういないんだしさー」
その声にはっと我に返る。
どうやらそれは自分に向けられた声ではなかったようで、どこから聞こえるのかと辺りを見渡せば
近くに会議室があるのに気がついた。声はそこから聞こえてくる。
随分と遠くまで来てしまったようだと驚きながらも、なぜだか妙にその声が気になった俺は
悪いことだとは思いつつも忍び寄るように会議室に近づいた。
中には数人の女子がいるようだが顔までは分からないし、声で判断できるほど俺は女子を知らない。
「いない」というのは、誰のことだ?
ドクドクと心臓がうるさい。
「だからね、もう言っちゃおうかなーって思うんだよね」
「ああ、告白?あんた阿部くん好きだったもんねー」
「うん。ほら、やっぱさんがいたから告白できなかったけどさ。
彼女もういないじゃん?いつまでも彼女追うんじゃなくて、あたしの方も向いてもらおうかなって!
だいたいさんも酷いよ。あたしならあんなに阿部くんを悲しませない!!」
「アハハ、あんた台詞が男前!!
っていうか昨日の集まりの時もそれ言ってなかった?」
「ちょっと、まじで!?どんだけ公言したいんだ!!」
「えー、だってー・・・・!!」
水が入ったペットボトルが廊下に落ちる。
彼女たちの声が大きいせいか、ペットボトルが落ちた音は彼女たちに届いていなかったようだ。
変わらずに談笑する声は、もう遠くに感じる。
でも不思議とトクトクとこぼれる水の音はやけに大きく聞こえていた。
トクトク
ドクドク
トクトク
ドクドク
心臓の鼓動に合わせて水が廊下に水たまりをつくってゆく。
じわじわと、それでも確実に、それは大きく大きく広がっていった。
嗚呼、俺は馬鹿だ。
なぜ気づきもしなかったんだろう。
昨日部室に帰ってきて「楽しかった」と笑った彼女。
彼女は自分の髪を軽く撫でていたじゃないか。
気づけもしなかった、いいや気づこうとしなかった。
俺はいつだって自分のことに必死で、には迷惑をかけてばかりだ。
苦しいのは俺じゃない、だ。
気づけば俺は全力で校内を駆けていた。
「!!!!」
廊下を駆け、学校を飛び出し向かった先はもちろんがいるはずの自分の部屋。
荒い息を整えることもせず部屋に入れば驚いたようにこちらをみるがいた。
ちゃんといる。
俺の部屋で、ちゃんとが俺の帰りを待っていてくれた。
それだけでもう泣いてしまいそうだった。
「ど、どうしたの隆也、何、学校は・・・・」
「ごめん」
「・・・・へ?」
「ごめん」
「隆也?」
「一瞬でも、お前を信じれなくて、ごめん」
「・・・・・・・・」
一瞬というには時間は長すぎたけれど。
疑ってしまってごめん。信じてやれなくてごめん。
は昨日「委員会の人たちの近くに行った」と言った。
今日会議室にいた彼女たちは十中八九委員会の人間で、どうやら昨日も同じ内容を話していたようだ。
これは確信。
は、彼女たちの会話を聞いた。
そうしてショックを受けただろう。それでも心配をかけまいと俺の前では笑ってみせた。
「楽しかった」と、自分の髪を撫でながら。
なのに、それなのに俺は・・・・を、さらに傷つけた。
俺は、俺だけは彼女の存在を信じてやらないといけなかったのに。
だって、俺にしかが見えていないんだ。
は、俺にしか、見られていないんだ。
他人がどうとか、そんなのは関係ない。
俺は見えていて、はそこにいる。それだけで十分じゃないか。
信じるとか信じないとかそんなのじゃなくて、はそこにいるんだ。
そうしてがそこにいる証拠は紛れもない俺。
見えている、聞こえている、俺がいる。それだけで、十分じゃないか。
俺はを抱きしめた。
触れてはいない、体温も感じない。けれどしっかりと抱きしめた。
が驚き息をのむのが空気でわかる。
「情けねぇ・・・・マジで俺、馬鹿だな・・・・」
「隆、」
「―――確かにお前は、ここにいる」
“ あたしは、ここに居るんだよ ”
何を疑っていたんだと苦笑する。
もう迷わない、揺らがない。
この腕の中にいるのは他の誰でもない、俺の彼女のだ。
恐る恐るも腕を回してくる。
そうして今にも泣きそうな震える声でしゃべり始めた。
「あたし、ね。人の会話を聞いて、すっごく、・・・・ショックだったの。
だって、あたしの時間だけが止まってる。
みんなの時間は動いてて、それは隆也だって同じでしょ。
いつかあたしなんか忘れて、新しい彼女ができて、結婚もして、子供だってできると思う。
その彼女があたしじゃないのが、辛いよ、隆也、っ。
飽きるぐらい、隆也の隣にいたいのに、・・・・・・・・なんであたしだけ動けないの?」
「」
「怖いよ、隆也。心残りがなくなったら、あたしは一体どこにいくの?
何を感じて、何を見れるの?不安で不安で仕方がない・・・・。
隆也に彼女ができるのは仕方がないけど・・・・隆也が、人が、あたしを忘れてしまうのが怖い。
あと2日後の世界なんて、知りたくないのに・・・・!!」
こんなに不安を抱えていた。
こんなに恐怖を感じていた。
俺だけじゃない。
不安に脅え、明日を恐れていたのは、俺だけじゃない。
嗚呼、遅くなったけど、気づけてよかった。
「俺は忘れない」
「隆也?」
「忘れない、絶対に。
いつか新しい彼女ができて、結婚もして、子供だってできたとしても!!
それでも絶対に忘れない。
昔こんなバカがいたんだって、笑って聞かせてやる。
野球部のやつらとも、お前の話だってする。
つか、こんなバカな彼女、忘れたくても忘れられるわけねーだろ」
どんなに歳を重ねても、どんなに季節が変わっても、忘れることはないだろう。
なぁ。今すぐには無理だけど、いつか笑ってお前の話ができる日がくるだろうか。
いつか、お前を想って泣くんじゃなくて笑える日が・・・・きっと・・・・。
「バカっていいすぎだよ。本当、優しくない彼氏だなぁ」
「うっせー」
「うん、でも・・・・」
そう言いながらもの声は嬉しそうだった。
体を離し、正面からを見れば花が咲くような笑顔を向けられた。
「ありがと隆也。やっぱあたし隆也のこと愛してるよ」
それはが死んでから、初めて見せた心からの笑顔だった。
あたしの時間は止まっていて
あなたの時間は進んでいて
あたしの止まった時間に
あなたを巻き込まないようにしようと
そう思っていたのに
あなたがあたしを忘れないと言うから
嬉しくて
嬉しくて
涙を我慢して笑えたの
6day→
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